むとう内科・脳神経内科クリニック      副医院長 武藤 浩平

流れ着いた先で一生懸命

略歴
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佐賀大学医学部医学科卒業後、徳島大学病院で初期研修を修了。
徳島大学病院脳神経内科入局後に同院と倉敷中央病院で後期研修医として勤務。
脳神経内科専門医として主に大学病院での業務に従事し、内科・脳神経疾患全般の診療、特に運動異常症、ボツリヌス毒素注射治療に注力している。
2024年に地元佐賀の父が院長を務める旧「武藤医院」を「むとう内科・脳神経内科クリニック」に改め継承した。2025年現在、大学院に在籍しながら同院副院長として日々の診療にあたっている。
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現在の仕事についた経緯

 医師であった父に影響を受け地元の大学に進学しました。医師として「将来〇〇をしたい」という大きな夢や目標があるわけではなかったですが、周りに自分よりもすごいなと思える人たちが沢山いたので、その人たちに追いつけるように「人として成長したい」という思いは強くありました。専門科を決める時も「好きだけど苦手な分野に飛び込めば一番成長できるのでは・・・」と思い、一番成績が悪かったけど勉強していて一番面白かった脳神経内科を専門にすると決めました。研修先は徳島の脳神経内科に梶 龍兒先生というすごい先生がいると耳にして、主に徳島大学病院で研鑽をつみました。そこで得た知識と経験を地元に還元できればと思い、現在の開業医生活に至っています。

仕事へのこだわり

 医師になってすぐの研修医の時に自分の中に決めたルールが一つだけあります。自分のカルテに「原因不明」という言葉は絶対に書かないということです。「原因不明の発熱」「原因不明のふらつき」・・・など、研修医の頃に紹介状やカルテに時折サラっと記載されているこの言葉を目にするたびに、自分の中ですっきりとしない気持ち悪さを感じていました。私にとって「原因不明」という言葉はその問題に対して考えるのをやめた時の諦めの言葉です。脳神経内科はまだ根本の治療手段はないにもかかわらず症状が徐々に進行する神経難病も多く診療します。そんな目の前の患者さんに対して1回1回の診療を何か少しでもプラスになるような診療にするのが私の目標です。
 そして自分がその患者さんにとって最後の砦かもしれないという思いもあります。どうしても自分では原因が分からない、手に負えない状況にぶつかった際には、カルテに「原因未特定の・・・」と記載します。患者さんには正直に「今は分からないから、次までの私の宿題にさせてください」とお伝えし、次回の診察までに勉強して解決策を模索しています。余裕がない場合や、他の専門の先生にお願いした方がいいと判断した場合は適切に次の医療者にバトンタッチできるように連携を取らせていただいています。
 諦めない姿勢で患者さんと向き合い、患者さんに「来てよかった」と思ってもらえるような診療をしたいと思っていますし、自分のクリニックはそうい場所でありたいと思っています。そのために必要な知識、技術、情熱を持ち続けたいと思っています。当院ホームページのトップにある「あってよかったぁ」という言葉はこういった思いで記載しました。

今後の展望・私の夢

 皆勤賞です(笑)

 昔から大きな夢や成し遂げたいことなど、そういった野望的なもが本当になくて、他人との競争で負けて悔しいという気持ちも少ないほうでした。ただ医師になったなんとなくのきっかけである父を見ていて、尊敬する点が一点あります。それは旧 武藤医院を開院してから37年間、一日も休まず勤務していたことです。台風の日も、1人医院に行って、台風の中来院される1人、2人の患者さんを診療していたようです。これは本当に偉業だとおもいます。
 今の運動不足な生活を送ってしまっている自分にこの記録を塗り替えることができるのか、長続きするクリニックとしてスタッフの皆さんと一緒にちゃんと経営していけるのか、まだまだ道は険しそうですがまずは医者の不養生からの脱却を目指します。
他に何か大きなことを成し遂げるかどうかは、今まで通り流れに身を任せて、何か結果が出ればよいなと考えています。

若者へのメッセージ

 繰り返しになりますが、私は「将来○○になりたい」とか「○○を成し遂げたい」といった夢や目標を明確に決めることができませんでした。もちろんそういった夢や目標に向かって突き進めるというのが一番理想なのかもしれません。ただ、周りからやれと言われ、何のためにやっているのかわからないことも、やっているうちに楽しくなったり、そこから目標が生まれたりすることがありました。
 脳神経内科医になると決めたのは大学5年生の頃でその理由も曖昧なものでした。当院で行っているボツリヌス毒素治療などを行うようになったのも、たまたま徳島で勉強させていただき、大変お世話になった直属の上司の先生がそれを専門になさっていたということがきっかけです。もし上級医の先生が認知症の専門の先生だったら私も認知症を専門にしていたと思います。結果的に地元の佐賀県では同様の治療を専門的に行っている施設は少なく、2025年時点で佐賀県で唯一のボツリヌス毒素注射の学会認定施注医として地域医療に役立つことができるのではないかと思っています。流れ着いた先で一生懸命やることで開ける道もあるのではないかと信じて、日々目の前のことに尽力しています。

むとう内科・脳神経内科クリニック
https://muto-neuro-clinic.com/