
101キャンドルライト株式会社 代表 マスター・ゲート
”一切唯心造”~すべては私の心持ちにかかっている~
101キャンドルライト株式会社
代表 マスター・ゲート
略歴
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1960年 韓国ソウル生まれ。覚者であり、自称、求道者。
人々の人生を抜本から変え続ける宇宙的な大マスターでありながら、
明快愉快豪快、常識的で思慮配慮に富むと慕われ、多くの人を魅了している。
幼い頃からの無数の霊的体験、多くの禅師や道人との出会いを経て、
27歳で私自らの内にすべての神秘があることを悟り、大自由を体得。
天賦の才と徹頭徹尾な修行を通して培ったその能力と慧眼により、
韓国の瞑想界に新風を巻き起こした。
悟りの道を広く伝えるため、2013年、日本において「101キャンドルライト」を設立。
「霊魂の成長に終わりはなく、永遠に進まなければならない段階が常にある」として、
「一切唯心造」の真理と徹底した「自覚実践」を教え、人々が自らで自身の正体性を悟り、
自らに目覚めることができるよう、導き続けている。
著書 新刊「自覚の錬金術」/「悟りの錬金術」(ナチュラルスピリット)ほか。
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親愛なる日本の皆さまへ
”一切唯心造”は絶対不滅の真理
悟りはずっと続けるものです。「あのとき悟った」ということではありません。先ほど頓悟漸修という言葉を紹介しました。順序を踏んで長い修行を行い、だんだん悟っていくということです。ですから悟りを得ても、さらに勉強をしなければいけません。悟りを得ることができなければ、今やっていることを勉強と呼ぶことさえできません。必ず頓悟をした後に、漸修がなければいけないのです。
では頓悟とは何でしょうか。悟りのことを頓悟といいます。何に対する悟りでしょうか。大いなる宇宙に対する悟りではありません。”一切唯心造”を確信することが悟りであり、すべてのことは私の心にかかっているということがわかること、これがまさに頓悟です。けれども、このような悟りがきても、多くの人は「そうかな?本当かな?」と言っています。なぜそうなのでしょうか。その悟りが偽物だからでしょうか。悟ったらそこで終わらなければいけないのですが、なぜ悟った後に勉強が必要なのでしょうか。それに対する答えはそれぞれが自分で考えなければいけません。
「すべてのことは私の心にかかっているんだなぁ」。それは確かにそうです。でもそれが、そうだと思うときもあり、そうではないと思うときもあるのはなぜでしょうか。できるときとできないときがあるのは、なぜなのでしょうか。これがまさに漸修です。漸修というのは何か大きなことをするのではありません。頓悟の後に頓修という言葉を付けるのは間違っています。もっと的確な表現が英語の「ing」です。ずっと進行形だということが一番合っています。自覚の炎を燃やし続けるのです。
水が沸騰したら、水は水の状態を失います。水蒸気のように見えながら、その水蒸気さえ消えていきます。けれども水は最後の一滴がなくなるその瞬間まで、自分を水だと主張し続けます。ですから最後の一滴が消えて蒸気になり、虚空になったならば、自分自身を探し当てたことになります。私は実際それなのです。そのときまではずっと自覚の炎で水を沸騰させなければいけません。
水を沸騰させるというのはどういうことでしょうか。不断の自覚を起こさなければならないということです。どのようなことに対する自覚でしょうか。”一切唯心造”という自覚です。なぜ私が ”一切唯心造”を自覚できるときもあれば、できないときもあるのでしょうか。これ以上の真理はありません。私の心持ちによって宇宙が滅亡しても、私はそれを受容することができます。私は宇宙どころか、無限よりもっと広く心を持つこともできるのです。”一切唯心造”というのは絶対不滅の真理です。この絶対真理の施行者は誰でしょうか。私自身です。それができるときもあり、できないときもあるというのは、それすらも皆さんの心持ちにかかっているということです。何が”一切唯心造”という自覚を妨害しているのでしょうか。結局はそれも私なのです。
このように、ずっと私自身を見るのです。自覚、自覚、自覚 ——— このことの何が難しいのでしょうか。何が大変だというのでしょうか。これができなくて今まで数千、数万回も輪廻を繰り返してきたのです。この言い訳、あの言い訳を使ってまた自分自身から遠ざかろうとしています。それは忍耐力の不足ではなく、本気の不足でもありません。だからといって運命だとすることもできないものです。
”死”を征服し、”死”の主人となる
皆さんは、記憶をすべて取り戻さなければなりません。そうすればこそ、自分に対する完璧な理解ができます。そして、「これから私がどう生きていくべきなのか」と、自分自身の運命の主人にならなければいけません。私の意志とは関係なく、死に直面して、死の被害者になってしまうということは、本来あり得ない話です。私が死を征服し、死を思うようにコントロールすべきなのです。なぜ死が私を選択するままに任せておくのでしょうか。私が死を選択できなければいけないのです。なぜなら、運命は私のものだからです。ですから、必ず自分の運命の主人にならなければいけません。私の同意なくしては、死というものは絶対に起こってはいけないことなのです。
生と死について知ってしまった人には、他に選択の余地はありません。知らなければそれまでなのですが、知らない人には話をする必要もありません。しかし、その真実を知ったのであれば、今回の人生は整理する生き方をしなければいけません。本当に、完璧に精神的な生き方を選ばなければいけません。精神の主人、感情の主人、すべての意識の主人にならなければならないのです。
ただ私を見て、私を克服してください。今回の人生において、それが完璧に成されなければいけません。そのようにしようとすればそのような力が生じ、そのような知恵が生じて、自然と私を克服していく体験と経験が訪れるようになります。「幽体離脱してあの世に行ってみたい」「肉体を抜け出るその体験を一度してみたい」と皆さんは思うかもしれません。最も良い方法が何かわかるでしょうか。私の生き方を整理していく生き方をすれば、今回の人生は自然とそのようになっていくのです。「今回の人生は整理の人生だ。今まで私は何千回、何万回も肉体的なものの奴隷として生きてきたけれど、今回の人生では私は完全に主人として、私の本性を探し出そう。すべてであるという私の本性を探し出して、それに気づいて、私の人生の完全な主人になるのだ!」このように生きる努力をすれば、自然とそのような経験や体験がついてくるのです。
(新刊『自覚の錬金術』より引用)

101キャンドルライト株式会社
https://101candle.jp/
101キャンドルライト株式会社では、韓国の悟りのマスター、マスター・ゲート氏が提唱する『一切唯心造』『自覚』をキーワードに、感情と考えをつくり出している『私』を見て、すべては私の心持ちにかかっており、すべてが私の中にあることを学んでいます。道伴(自覚の道を共に歩む同志)とお互いの悟りと体験を共有して、共に意識成長し、成熟していく共同体です。