
日本橋人形町整形外科 院長 末永 七彩
人生波乱万丈、だから全力
日本橋人形町整形外科
院長 末永 七彩
略歴
_________________________
中学校まで地元の栃木県で過ごし、高校から親元を離れ都内私立校に進学。
ダンスにのめり込み、学校へはほぼ行かずダンススクールに通う日々で単位ギリギリで卒業し、
武蔵大学社会学部へ進学。
武蔵大学2年目の夏に進路変更を決意し中退。
翌年、聖マリアンナ医科大学合格。医学部卒業後、初期研修を経て整形外科医に。
2024年10月日本橋人形町整形外科開業。地域医療への貢献、
ロコモティブシンドローム・こどもロコモの予防や啓蒙活動、
骨粗鬆症治療などに力を入れ日々診療している。
_________________________
現在の仕事についた経緯
私の両親が医師ということもあって、医師という職業が身近なものであったことはそうですが、小さい頃からずっとダンサーになりたいと思っていました。安室ちゃん、MAX、SPEEDなどダンスをしている女性歌手の方が大好きで、小学生からミュージカルをしたり、高校生の時には学校をサボって朝から晩までダンススクールにいたり、歌って踊ることが本当に好きでした。高校生、大学生の時には新宿のオフィスビルを鏡にしてダンサー仲間と練習することもありました。高校卒業後の進路相談で母にダンス専門学校に行きたいと言ったところ「そんな短い手足じゃ現実は厳しいよ」と言われ(笑)、ひとまず大学に進学し、大学でもダンスを続けてチャンスがあればダンスを職業にしようと思っていました。
そんなアドバイスをくれた母が子宮体癌になり、その手術に付き添っている中で、医師という職業に対しての見え方が変わり、医師になることを決意してすぐに武蔵大学を辞めました。本当は心のどこかで幼少期から両親のような医師になりたいと憧れはあったんだと思います。ただなんとなく両親と同じ職業は嫌だとか、思春期の頃は少し不良がかっこいい文化があったので(笑)、真面目に勉強していい子でいることへの反抗心があったのだと思います。
医学部卒業後は、初期研修でいろんな科を回りました。私が外科系を選んだ決め手になったのは、消化器外科を回った時に上司に女医さんがいて、すごく熱意があって患者さん思いでかっこよく、「手術は医療の〇〇だ!」って言葉に感動し、私も手術を通して患者さんを助ける科に進もうと決意したのですが、その〇〇が2人とも酔っ払っていたので忘れてしまって(笑)今でもその先輩女医先生と会うと、その時の言葉がどうしても思い出せないけど、絶対に忘れられないと話題に出ます。
整形外科に決めたのは、怪我や変形性関節症などで手術を終えられた患者さんが元気に歩いて退院される方が多いことに驚いたからです。また整形外科の先生たちは男気に溢れていてなんとかするしかないでしょ!という医師としての姿勢がとてもかっこよく、すごく刺激を受けました。そこから様々な手術を経験し、大学病院にくる患者さんは手術を決意してこられますが、やはり不安で暗い表情の方も多く、手術をする前の段階で患者さんに何か医療貢献できないかとずっと考えていました。そして何歳からでも筋肉の維持が大切であること、ロコモティブシンドローム・こどもロコモの予防や、理学療法士や柔道整復師が寄り添ってくれるリハビリテーションを通して、運動を継続していく重要性を伝えるために開業に至りました。
仕事へのこだわり
医療現場だけではなく、どんな仕事でもそうだと思いますが、一方的に自分の意見を言っても相手には理解してもらえません。医者という立場柄、診察では患者さんは私の話を聞いてくれますが、受診される患者さんたちは、男性女性、老若男女関係なく、日常生活に支障を来すまでになっている痛み、怪我などなんとか解決できないかと相談に来られます。限られた短時間の中でその悩みをいかに聞き出してあげて、検査結果を通して自分の現状を患者さんがしっかり理解し、どうすれば改善していけるかをわかりやすい言葉で説明する診察を心がけています。
医師になってからたくさん失敗をし、いろいろな経験をしてきたことが全て財産になっています。初期研修時代には自分が思っていた医療現場と、実際の現場との違いで戸惑うことが多く、過去にニュースにもなったタクシー代わりに救急車に乗ってこられる方を目の当たりにしたり、酩酊している方から暴言を吐かれたり、それを対応する看護師さん、事務さん、検査技師さん全てのコメディカルの方の医療現場でのプロ意識に感銘を受けました。
整形外科医になってからは、整形外科という科目がもともと男性医師が多く、女性は全国で約4%しかいません。手術時間が長かったり、体力勝負な科目なため、男性医師に頼わざるを得ないこともあり、自分に劣等感を感じたり、上司に怒られ自分には向いていなかったのかと思うこともたくさんありました。正直、日々の自分の仕事に精一杯で患者さんと向き合う気持ちの余裕がなかった時期もありました。そんな時に、とあるご高齢の女性の患者さんから「整形外科の女性医師は初めてだったから、初めて私の痛みを恥ずかしくなく相談できた」と言われ、女性医師が少ない科目だからこそ、相談しやすいと思ってもらえたことにとても喜びを感じました。
これが一つのきっかけにもなり、病院だと敷居が高く、こんなことを相談するのに受診していいのかしら?と相談できずにいることも、クリニックならより気軽に相談してもらえるのではないかと思い、大学病院を離れた後、多数のクリニックで勤務してみるとより女性の整形外科医が求められていることを実感しました。
そこで私は病院ではなく、クリニックという場所で患者さんに何をできるのか、開業に至るまでの3年間にわたり、ただの何でもないノートにいろんなことを書き出し分析を始めました。そのノートには、私自身のこと(性格を改めて見つめ直す、好き嫌い、許せること許せないこと、憧れた人のどんなところに影響を受けたかなど)、仕事として提供できる医療サービス(診察スタイル、設置する医療機器、何を全面に売りに出すかなど)、何となく思いついたことや、ビジネス・プライベートの両方でやってみたいこと、時には感化された誰かの言葉なども書いて、モチベーションが下がった特に見返したり、過去の自分と今の自分の変化を客観視したりしていました。
これがすごく役に立ったと思っていて、特にやってみたいことリストの何か一つを達成すると、次の新しくやりたいことが出てきて、どんどん自分の経験が積み重なり視野が広がりました。そうすると、当初はこれを目標に仕事をしていこうと思っていたことも、より深く太く自分軸が作られ始め、開業してから診療理念がぶれることなく、スタッフと共有できています。診療理念がぶれずに軸があることで、何か問題が起こった時に感情的に解決をしようとせず、一度裏紙でもメモ帳でもいいので問題を書き起こし、客観視してからできるだけ早く決断事項を言い渡すようにしています。私は開業を決め準備していた時に、ノートを通して自分自身のこだわり、ビジネスへのこだわりを何度でも再確認できたことが大きかったと思っています。
今後の展望・私の夢
2024年10月に開業し、これで終わりではなく、やっとスタート地点に立ちました。HPにも熱い思いを掲載していますが、患者さんには何歳からでも筋肉を増やすことができ、筋肉量を維持することで毎日元気に過ごせる生活につながり、継続することってとても難しいけどこれが一番大切で、それが楽しく動ける人生につながっていくことを伝え続けていきたいです。
また整形外科という科目が筋肉や骨の分野になるので、筋肉をつけるための栄養・食事、骨粗鬆症予防の重要性、大人の体感バランス教室やこどもロコモ予防体操教室なんていうのもやってみたいです。これもノートにはすでに書いていて、書き始めた1年目のページに書いてあります。またスタッフがここで働いていて良かった、と思ってもらえる職場でないといい医療は提供できないと思っていて、医療で利益を求めるのはタブーな印象が社会的にありますが、私は患者さんがここにきて元気になったと思ってもらえるなら、利益を出してそれをスタッフに還元できる職場を作り上げていきたいです。
若者へのメッセージ
①人生波乱万丈、だから全力
実は私は自分が医者でありながら、医者になりたての初期研修医の時に難病を宣告されたり、その後腹部の手術を2回経験し、もう医者を辞めて自分好き勝手な人生を送ろうと思ったことが何度もありました。しかし性格的に図太く根性がある方で(笑)、一度も「諦める」という選択はしませんでした。今でも当時を思い出すと辛くなり、悔しい思いもたくさんしてきましたが、整形外科医になろうと決めた時も、とりあえず専攻してみて自分の体に限界が来たら考えよう、人生波乱万丈だからこそ全力でいこう、とここまで来ました。自分を守るために「逃げる」ことはいいと思います。ただ「諦めて」その先を閉ざしてしまうのは、一回きりの人生だし貪欲に追い求めて、その結果がどうであれ「諦める選択をしなかった」ことに意味があると思っています。
15歳で親元を離れてから今まで、落ち着いたなと思う時期はありませんでした。
高校時代はダンスにのめり込み卒業ギリギリ、武蔵大学進学も進路変更して浪人を経て医学部に入学、医者になったら病気がわかり、最近の話ではクリニック開業準備中に妊娠が判明し、実はこれを書いている2025年2月に切迫早産で緊急入院になってしまったため、スタッフにクリニックを守ってもらっています。絶対安静にしていなくてはならない状況が、むしろ自分を振り返る時間になり、こんな人生送っている人もいて何とか生きていけるんだから、自分も一歩踏み出してみようと思ってもらえたらいいなと思っています。
②自分が居心地がいい友人は大切に
私は医療関係以外の友人・仲間がいることがすごく大きな影響があり、特に医学部に入る前の武蔵大学で友人を作れたことが大きな財産になっています。中退して離れてしまっても結婚式に呼んでもらったり、ご飯に誘ってもらったり、男女関係なく交流が続いています。もちろん仕事もばらばら、考え方も異なるので、すごく刺激になる大切な仲間たちです。私は医療業界しかわからないので、正直大手の〇〇会社とか言われてもわからず、プライドなど見せつけ合わず、ありのままの自分で、立場や仕事も関係なく話せるからこそ、友人たちの会話の中で新しい思考や、新しい発見を見つけることができ、幅広く視野を持つことの大切さに気づかされています。気が乗らない接待や会食に行かざるをえない時でも、どうせ行くなら何か一つお土産持って帰ろうぐらいの前のめりな気持ちで参加すると、相手への見え方も変わってくるのではないかなと思います。
日本橋人形町整形外科
https://nn-ortho.jp