サーフライダー兼・富士企画株式会社/株式会社クリスティ/代表取締役 新川義忠

大人たちよ、もっと遊べ。

「自分らしい生き方」「後悔しない人生を」巷にはそんな言葉が溢れている。誰しも一度は自分の思うように生きてみたいと考えるが、どこかで「我慢」という折り合いをつけているのかもしれない。

企業の代表であり、生粋のサーファーでもある新川義忠氏は、自称日本一の”仕事も遊びも一生懸命な男”だ。我慢をしない新川氏の生き方には、どのような背景があるのだろうか。

恩人の意思を受け継いだ

私のキャリアのスタートは、住宅設備会社の営業からでした。そこで7年間働き、今いる不動産業に飛び込みました。自分の力を試したかった私は、「設立が浅く、とにかく怪しい会社」を条件に探していたのですが、当時の求人情報誌に「私たちの初めての募集です」と書かれていた会社が、株式会社クリスティでした。そしてクリスティの創業者である小林社長が、私の人生に大きな影響を与えてくれた恩人でした。小林社長は本当に豪快な人で、仕事についてはもちろん、生き方、考え方について多くを学ばさせてもらいました。

 私が夜、友人と食事をしていると小林社長から電話がかかってきて、「今何しているんだ?」と聞くんです。「友人と食事をしています」と返したら、「今お前が食っているものよりこっちの方が美味いから、こっちに来い」と言うんですよね。平日にお客様とのアポイントが入っていても、「キャンセルしろ、海に行くぞ」と巻き込んでくる、そんな人でした。今の私の座右の銘の一つにもなっている「仕事も遊びも一生懸命」は、小林社長の生き方から、貰った言葉です。

 クリスティには14年勤めました。入社して半年間は大好きなサーフィンにも行かずに、仕事に没頭しました。入社した当時は私を含めて5名で、私と社長の二人になった時期もありましたが、最終的には40名規模の会社に成長しました。私はナンバー2として会社の成長を支えた自信もありましたし、10年を過ぎたタイミングで小林社長にも相談し、退職して富士企画株式会社を立ち上げました。もちろんクリスティを辞めるまでにしっかりと部下を育成して、本当に円満に退職をしたのです。

 小林社長の訃報を聞いたのは、富士企画を立ち上げてから5年後のことでした。当時、小林社長とは少し疎遠になっていたこともあり、お葬式でお線香を上げられずにいたのですが、一週間後に奇跡とも思える出会いがありました。私は麹町で友人とお昼ご飯を食べて、その後に銀行に寄ったんです。いつも行く銀行ではなくて、その時たまたま近くにあった銀行に入った瞬間に、小林社長の奥さんとばったり会ったんですよね。奥さんと会ったのは恐らく10年以上ぶりでした。奥さんも社長が亡くなってから気が滅入っていて、娘さんが無理やり散歩がてら外に連れ出したタイミングでした。

  

 生前の小林社長とは、部下を巡るトラブルもあって、しばらく連絡を取っていませんでした。でも実はずっと、影で私を応援してくれていることを聞いていました。事あるごとに気にかけてくれて、「俺ができなかったことを、新川は楽しそうにやってる」と奥さんや娘さんに話してくれていたんですね。小林社長は癌で、先が見えている状態だったので奥さんが「新川さん呼んでこようか?」と言っても、「あいつとは元気になってから会うんだ」と言っていたそうです。

そんな私とばったり会って、小林社長が「新川に会社をやらせろ」と言っているように感じたらしいのです。銀行で会った時は私も奥さんも涙でくしゃくしゃでしたが、それからお線香を上げさせてもらい、色々と話をするうち、奥さんは私にクリスティを任せたいと言ってくれました。当時は大手に会社を引き受けてもらう話もまとまっていたらしいのですが、私と会ってから、大手からの話を全て断ったんです。私もまだ富士企画を立ち上げて5年目でしたが、少しでも時間が違えば奥さんとも出会うことはなかったですし、これは運命だと思いました。損得勘定などは全くなく「自分で引き継ぎたい、やらせて欲しい」という感情が先にきました。最終的には、ちゃんとした手続きを踏んで、富士企画がクリスティを買わせて頂いた形になりましたが、私にとってはそんなことは大きな問題ではなくて、小林社長の残した会社を継がせてもらえたことが嬉しい。もし今、目の前に小林社長がいても、「安心してください。小林イズムはしっかり残せていますよ」と、伝えることができます。

明日死ぬかのように、もっと遊べ

「仕事も遊びも一生懸命」という言葉以外に、もう一つ大事にしている言葉があります「明日やろうは馬鹿野郎」です。何年か前にドラマであった台詞なのですが、自分の中にドシッと入った言葉でした。いつまでも明日があると考えるのは大きな間違いで、やりたいこと、伝えたいことは明日を待たずに「今日」やることを、いつも意識しています。

私はサーファーです。18歳の頃に友人に誘われて初めて勝浦の海でサーフィンをして以来、ずっとサーフィンは生活の中心にあります。とにかくサーフィンがしたいから、仕事を頑張っています。ゴルフも行きますがそれは親しい仲間とだけで、仕事の付き合いでゴルフをすることもありません。サーフィンの快感と言えば、それはもう言葉にすることは難しいのですが、真冬の北海道で、気温マイナス16度の中に海に入ったことがあります。普通の人なら真冬の北海道で海に入るなんて理解してもらえないと思います。当然、めちゃくちゃな寒さです。でも波に乗って、上から下に滑り降りるあの快感は、マイナス16度の寒さを忘れさせるくらいの気持ち良さです。サーフィンも大好きだし、サーファーも大好きです。自分のSNSでも書いていますが、どうせ仕事するならサーファーと仕事をしたいといつも思っています。仕事柄、いろんな営業さんが連絡をして来ますが、サーファーであれば、とりあえず会うことにしています。

コロナになって、サーファーも海に入れない状態になったことがあります。私は海沿いに住んでいたので、どんな波なのかのチェックをしていたのですが、よくよく観察していると、だんだんビーチが汚れていくんですよね。それで、常日頃サーファーがいかにゴミを拾っているかが分かったんです。世間一般的にサーファーは、いいイメージはないのかもしれませんが、ほとんどのサーファーは海を大事にしています。

クリスティにいた頃、今でも鮮明に覚えているのですが、台風が近づいていて、サーフィンに行くかどうか迷って、結局は行かずにプールで泳いでいたんですよね。でも家に帰って波情報を見たら、めちゃくちゃいい波だったんです。その時、死ぬほど後悔したんです。本当に部屋の隅に膝を抱えてうずくまったくらい、落ち込みましたね。あの時の後悔から、自分の人生、時間の使い方をすごく選ぶようになりました。自分の行動は自分の選択によって決まって、それが結果になります。だから私は、やりたいこと、面白いことを常に選択するようにしています。明日やろうは馬鹿野郎、なのです。

雨の日にはウエットスーツをきたり、スーツでサーフィンしたり、サーフボードを背負って富士山を登ったり。ダンボールでサーフボードを作ったり、真剣にふざけています。周りから見たら「馬鹿だな」と思われることを多くやっていると思いますが、案外、自分が思っているほど周りは自分のことを気にしていません。多くの人は人の目を気にしすぎです。「大人はこうじゃないとダメ」というのは実はほとんどなくて、大人だからこそ出来ることが沢山あるんです。大人だからこそ、もっと遊んで欲しい。もっと、ギリギリを攻めて欲しいなと思います。子供の頃って、何を見てもワクワクしたり、キラキラしたものに映りますよね。雨が降って水たまりが出来ると喜んで入っていくじゃないですか。大人になると、水たまりは鬱陶しい存在に変わってしまう。でも、水たまりには入った方が面白いんですよ、絶対に。はちゃめちゃな大人の方が圧倒的に魅力的だと思います。

今、私は50歳ですが、ずっとサーフィンを続けたいと思っています。いつでも好きな時にサーフィンが出来る状態であり続けたい。仕事もその為にやっていますし、健康を維持するのもサーフィンの為です。歳をとって減っていくものって大体、健康か、お金だと思うんですよね。でも反対に時間は絶対に増える。時間が増えたのに、お金と健康を理由に面白い事に挑戦できないって、絶対に嫌なんです。私は不動産屋ですが、不動産って儲かるんですよ。物件を持っていれば、歳をとって時間ができた時に、最低限自分の楽しみを維持する為のお金を作ることができる。その時、一緒に楽しめる仲間がいたら最高じゃないですか?私が仕事をしているのはそういう理由で、そんな仲間を作っているわけです。自分がこれから楽しむために、一緒に楽しんでくれる仲間を作っているだけなんですよね。今は全国各地のサーフィンができるポイントの近くに不動産を作ったり、着々と面白いことを沢山進めています。楽しみにしていて下さい。

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プロフィル

サーフライダー兼・富士企画株式会社/株式会社クリスティ/代表取締役 新川義忠 
1972年生まれ、福岡県出身

URL:https://www.fuji-plan.net/
URL:https://www.christy.co.jp/
インスタグラム:https://www.instagram.com/surfrider.yoshio/?hl=ja

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